誰もがケア者であるということ
「悲しみは、誰かに受け止められたとき、『愛しみ』へと姿を変える。」
これは著 若松英輔「生きる哲学」の中に書かれている一文です。
私はこの体験をした瞬間を今でも鮮明に覚えています。
母を見送る前後の状況は、混沌としていました。お葬式のやり方、お墓の話、全て家族間で意見が食い違いました。母が亡くなったことに加えてそれが私の悲しみを深くしました。
日常生活に戻りながらも、
「いつこの悲しみは終わるのだろう?」と思う日々でした。そのなかでも、葬儀の時に、仲間に助けられたことが心の支えとなりました。だから私も同じような方の力になりたいと葬儀社で働くことにしました。その時の面接のときです。この理由を言うと、面接官の方は、うなずいて「そうだよね、上手くいく家族ばかりではないよね。」というような言葉をかけてくれました。事情も何も知らない人に、話して受け入れられて、初めて私は自分を許せた、あの時はベストを尽くしたのだと。
大学卒業後から、葬儀業界に携わってきたので、グリーフケアという言葉はもちろん知っていました。ただその必要性やその力を実感したのが、この時初めてです。悲しみのケアにお役に立てるのは、身内だけでなく、むしろ第三者であるということです。特別な訓練を受けた人でもなく、ひとりひとりがケア者である意識を持つことが、悲しみを愛しみに変えていけるのです。
感謝と愛をこめて
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