人生のどの時期も豊かな社会へ
最近、米原万里のエッセイにはまっています。本の帯に「ユーモアと辛口痛快エッセイ見えない真実が見えてくる!」と書いてある通り、考えたことがない視点を頂き感謝しています。この中に、『フロンティアの喪失』というエッセイがあります。その中の一節です。
戦後の日本経済の立役者であり、その現役を退いた70歳前後の紳士たちは、ソ連の経済の構造改革にアドバイスを求められ現地にに出向くことになった。いつもは、もっと枯れた生気の失せた感じの老人が生き生きとしている。他人に必要とされることが、これほどまでに彼らを活気づけているのだろう。
この一文を私は見過ごしたくない気持ちがありました。なぜなら私はその世代の方にお世話になって生きているからです。挨拶ひとつ、処世術ひとつ、何が大切かを普通の生活の中で学ばせてもらうことが多いのです。働いている世代は、そのほかの世代に支えられていることを感じ、還元することも大切なことだと気づかされました。税金納めているとかそういう話ではありません。
私は、この同じ年くらいの近所の人(もはや親戚だと思っている)にいつも泣き言を言っています。会社の人でもなく、いつもそばで見ていてくれるので客観的にいつもアドバイスをくれます。ときには「あんたには敵わない相手だからうまくやりなさいよ」なんて言われたりして、そうするとすんなり前を向けるのです。ほかのご近所さんもよく、「いろんなことあるのよー、生きてると」なんて声をかけてくれます。そうすると、起きていることを許せる気持ちになるのです。この人たちがそういうということは、こういうものなのだとなぜか納得できるのです。
だから私は辛いとき頑張れました。逆に、「若いから元気出るわ」なんて言ってもらってちょっとだけお役に立てることがあるのかもしれないと思います。様々な年代が共にいきることで、息詰まることを軽減できることがあります。現役を退いた人に私は育ててもらっています。人生の時期に関わらず、自分は必要とされている、価値があると思える社会の一端を担っていきたいです。日々の感謝をこめて。
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